書評バックナンバー2

書評『サンカ生活体験記』

林田力

矢切止夫『サンカ生活体験記』(作品社、2003年)は日本の謎の民サンカについての研究書である。著者は子どもの頃にサンカで育てられたという。実体験があるところが、本書のユニークなところである。

サンカは原始的な文化と見られがちであるが、その家族形態は核家族である。年老いた親はコミュニティーで面倒を見るという(198頁)。逆に近代的である。農業に対して憧れを抱く向きもあるが、農業が家父長的な家族主義、集団主義を生んだのではないか。

本書は建設業者などは都市に溶け込んだサンカ出身者で占められ、それが談合の温床になっていると主張する(217頁)。彼らにとって談合は悪いことではなく、仲間内の話に過ぎない。サンカの研究はサンカ社会を肯定的に描くものが多いが、小さなコミュニティーの中で妥当性があるものも、もっと大きな社会では不公正になることもある。

本書はサンカという特殊な集団に限定したものではなく、日本史を語るものになっている。それも歴史教科書に書かれた歴史を正とするならばトンデモに属する内容である。それでも本書には頭ごなしに否定できない面白さがある。

著者の歴史観「矢切史観」は隆慶一郎『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』の世界観と重なる。『一夢庵風流記』を原作にした漫画『花の慶次』は私の少年時代に大ヒットした。そこで描かれた道々の者の生き方に反骨精神を刺激された人は少なくないだろう。私も間接的に矢切史観にはまっていたことを気付かされた。

ソ連崩壊を目の当たりにして育った私にとってマルクス主義は抵抗の思想として必ずしも魅力的なものではない。少数の支配者に対する、階級的利害を同じくする多数の被支配者という階級闘争がしっくりこないためである。多種多様な人々を被支配者階級とくくることは乱暴であり、被支配者間の利害対立を無視している。それよりは道々の者やサンカのような少数派の抵抗者がしっくりくる。

本書には著者のエッセイ的なところがあるが、現代日本の問題として司法を指摘する。ヤメ検弁護士の横暴(149頁)や書面中心による口頭審理の形骸化(177頁)などである。これらは的を射た指摘である。

書評『光芒』

矢月秀作『光芒』(幻冬舎、2016年)は裏社会を描いた小説である。暴力的な描写も多い。昭和のヤクザ物のような任侠の美学はない。本書で描かれるヤクザの世界は親分が器量のある子分を排除しようとする世界であり、ヤクザ世界に仁義はない。

冒頭は格差社会の犠牲者が視点人物になる。彼の救いになる展開であるために、主人公サイドにあまり悪質さを感じさせない構成は巧みである。しかし、実際はかなりの悪である。暴力団を抜けてからの裏稼業の方が堅気に必然的に迷惑をかけるものであり、ヤクザよりも悪質である。このために筋を重んじる任侠物を嫌いでない身には、あまり感情移入できない。

ブラック稼業から完全に足を洗いたいと言ったところで、これまでの所業からすれば虫が良すぎると感じる。過去の怨念に直面して若い頃にもう少し「自分」や「生きる」ことを真面目に考えていればと述懐する(313頁)。それは正しいが、そこでも存在するものは自分だけである。他者性はない。とは言えラストは疑似家族のために自己犠牲的な振る舞いをしており、ヤクザ以上に任侠らしいところもある。

本書の裏社会に感情移入しにくい理由は生き方に華がないためである。幹部クラスの人間がワンルームマンションに住む(118頁)など格好よくない。何のために男を売る稼業をしているのか分からない。そこしかないという消極的選択か。

本書は任侠物とはかけ離れているが、ヤクザと半グレ・ヤンキーの線引きはしている。半グレ・ヤンキーが元ヤクザを複数人で襲撃したが、返り討ちに遭う。ここにはリアリティーを感じた。裏社会から離れて数年経つ元ヤクザでも、半グレ・ヤンキーとは格が違う。半グレ・ヤンキーはどこまで行っても、社会の害悪でしかない。

書評『7色野菜の便利図鑑』

植木美江『7色野菜の便利図鑑』(幻冬舎、2016年)はイラストレーターによる野菜料理の書籍である。色を切り口にして野菜料理をまとめている。七色と言っても虹の七色(赤橙黄緑青藍紫)ではない。赤橙黄紫緑白黒である。さらに「プラス1カラー」として桃色や茶色などを紹介する。色を切り口にしているだけあって全編カラーである。これだけ様々な色の野菜があることに驚いた。

料理は目でも味わうことができる。実のところ、私は料理を目で味わうことに必ずしもポジティブな印象を持っていなかった。色合いで食品を選ぶということは、着色料をふんだんに使っているものを選択することになりかねないためである。本書のような自然の色を楽しむならば大歓迎である。

印象的な著者の発言に「40過ぎると肉より野菜が食べたい」がある(5頁)。これは私も納得できる。私は子どもの頃から肉が好きだった。今でも他の人と比べれば肉好きになるだろうが、それでも最近は野菜も好むようになった。

著者は東京都小金井市在住である。小金井は東京といっても自然がたくさん残る街という(2頁)。農家もある。著者が野菜オタクになった背景には、この小金井の環境がある。人はコンクリートジャングルではなく、土の上でこそ生きられると感じた。

書評『激しき雪 最後の国士・野村秋介』

山平重樹『激しき雪 最後の国士・野村秋介』は民族派右翼の巨魁・野村秋介氏の人生を描いたノンフィクションである。タイトルの「激しき雪」は野村氏が獄中で詠んだ句「俺に是非を説くな 激しい雪が好き」に由来する。まさに激しい雪のような人生であった。

野村氏の姿勢は権力や大企業の犬となっている所謂一般的な右翼とは全く異なる。本書も「自民党・財界を補完する形で戦後体制の強化に貢献してきたポツダム右翼を撃つ」という意識があったと分析している(207頁)。

実際、野村氏が起こした経団連襲撃事件では大企業の経済至上主義を批判している。檄文では「環境破壊によって人心を荒廃させ、「消費は美徳」の軽薄思想を蔓延させることによって、日本的清明と正気は、もはや救い難いところまで侵食されている」と訴える(209頁)。このような右翼思想は大きな意味がある。というのは左翼思想には分配の公正を重視するが、そのためには分配するための果実が必要であり、経済至上主義を必ずしも否定しないところがあるためである。

野村の弟子達による住友不動産会長宅襲撃事件も痛快である。地上げ屋などを使って狂乱地価を招いた元凶と告発した(180頁)。この事件は犯罪として処理されたが、地上げを社会問題として認知させることに寄与した。私は大手不動産業者と不動産購入トラブルの経験があるため、非常に共感できる。

本書には官僚主義の救い難さも描かれている。フィリピンのゲリラの人質となったカメラマンの石川重弘氏を野村らが解放交渉で解放に成功する。日本大使館員は人質解放に何の役にも立たなかったばかりか、解放後に石川氏に「パスポートを持っているか」と質問するなど犯罪者を扱うような態度であった(160頁)。野村氏が怒って大使館員へのカメラマンの身柄引き渡しを拒否したことは当然である。

この事件は日本人が海外の武装勢力の人質になったという点でイラク人質事件と共通する。そこでは右と左で意見の溝が生じた。フィリピンの事件で民族派右翼がイラク人質事件のような自己責任論をとらなかったことは興味深い。

一方でフィリピンの事件では石川氏は「自分で蒔いた種は自分で刈りとる」覚悟を持っていた(157頁)。また、イラク人質事件のように人質に同情的な人々が日本政府に自衛隊撤退を要求することはなかった。ここが相違点と言えるかもしれない。

野村氏の面白いところは左翼側にも人脈が広がり、共闘していることである。単なるイデオロギー対立に囚われていない。この右翼と左翼の共鳴は教条主義者からは批判の対象になるが、安保闘争当時の全学連委員長を描いた佐野眞一『唐牛伝 敗者の戦後漂流』でも指摘されている。昔の右翼も左翼も型破りだったと言えるかもしれない。これに比べると昨今の野党共闘の動きは狭い世界の共闘に見える。

書評『フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。』

肥沼和之『フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。カネなしコネなし実績なしが年収800万円に一変した泥臭い£エ実践法!』(実務教育出版、2016年)はタイトルの通り、フリーライターとして活動する方法を説明する書籍である。著者はライターである。特別なコネクションも実績もないところからライターになっており、その内容には説得力がある。

この手の書籍は著者自身の成功体験や失敗体験を語る半生記という側面がある。演繹的に導き出されたノウハウよりも、個人的経験に裏打ちされたノウハウの方が響きやすい。また、読み物としても抽象的な技術論よりも、むしろ独特な人生経験の方が面白い。そのためにハウツー本と銘打ちながら、あまりハウツーを教えない書籍もある。それはそれで書籍として成立するが、本書はバランスが取れている。

本書は著者自身のライター経験を語る一方で、文章講座や企画の案出法も書いている。ライターになりたい人にとって実践的な書籍である。しかし、最も面白いものは著者の思いである。本書の最後に著者が共感するインタビュー相手の話がある。ファッション誌のような生活に憧れていたが、そのような生活を送ろうとしても幸せとは感じなかったという(181頁)。

この話は私も共感する。高級品や流行品に囲まれる生活、普通の人が持ちたいと思う物を持つ生活が羨ましいとは全く思わない。疲れるだけである。ところが、日本社会には自分にとって楽な生活を送ることが許されない息苦しさがある。夏目漱石が『草枕』で「兎角にこの世は住みにくい」と嘆息した通りである。この矛盾だらけの社会では物書きになるということは一つの生き方になるだろう。

書評『視えない世界はこんなに役に立つ』

冨山詩曜『新しい考え方 視えない世界はこんなに役に立つ あなたの人生クオリティを《超拡張する》その仕組み』(ヒカルランド、2016年)は超能力や霊の世界について解説した書籍である。そのようなものは存在しないと頭ごなしに否定する人々もいるが、本書の内容は説得力がある。

そのようなことはないと思っていると超能力は発現しないし、霊とも交信できない。超能力の本質が人の思う力であることを考えれば、この説明に納得する。これはスプーン曲げなどの超能力を普段披露している人が衆人環視の公開実験で失敗しがちになることも説明できる。超能力に否定的な人々の意識が実験の成功を妨げるためである。

本書の面白いところは霊が録音テープに声を吹き込むなど科学技術を駆使していることである。オカルトを科学技術の対極にある前近代の遺物というステレオタイプを打ち砕いている。もともと錬金術は最先端の科学技術とオカルトの融合であった。文明の発達したヴィクトリア朝英国は空前の心霊ブームが起きた。科学の発達がオカルトをなくしていくという考えが二十世紀の特殊な科学信仰と言える。本書でも紹介されている量子力学の不確定性原理は、むしろオカルト的な理論である。オカルト否定の科学信仰が実は最も非科学的と言える。

本書で考えさせられた点は霊が死後も生前の病気などの痛みを抱えているとの指摘である(207頁)。病気などで痛みを抱えていた時の精神パターンを死後も引きずるためである。死は苦痛からの解放を意味しない。安楽死は無意味である。一方で緩和ケアは必要である。どうせ死ぬのだから緩和ケアは必要ないという治療方針では、患者は死後も苦しむことになる。

霊が必ずしも普遍性を持った高次なものではなく、生前の精神状態を継承しているとの説明はリアリティーがある。これによって怨霊の存在を説明できる。危険ドラッグなどで精神が錯乱して亡くなった人は死後も錯乱したままになってしまうだろう。薬物乱用者は死後も救われない。

さらに「死んだアルコール依存性患者、麻薬常用者、殺人者、その他の凶悪犯罪人の霊は、地球上の自分と似たような性質を持った人間や意志の弱い人間に引き寄せられ、自分たちが常時行っていたような悪事を促します」(225頁)。死後も世の中に迷惑をかけることになる。本書は人間の精神の力の素晴らしさを語るが、精神を壊す薬物の恐ろしさも感じた。

書評『大東亜の嵐』

西山進『大東亜の嵐 誰も語らなかった真実の満洲と日本軍』(明窓出版、2016年)は汪兆銘政権樹立の立役者である影佐禎昭・陸軍中将(最終階級)を中心として十五年戦争を振り返るノンフィクションである。この影佐禎昭中将は谷垣禎一・元自民党総裁の祖父でもある。

本書は十五年戦争を植民地解放の観点から描いている。この歴史認識には賛否両論があるだろうが、左翼イデオロギー優勢の子ども時代を過ごしたロスジェネ世代の私にとっては新鮮な内容があった。

本書に対しては歴史美化と批判されるかもしれないが、無条件に美化するだけではない。軍上層部の無能、無責任を克明に描いている。軍上層部の希望的観測に基づく無能、無謀、無責任な作戦により、甚大な人命や資源が浪費された。

戦後日本も戦争こそしていないものの、無能、無謀、無責任な計画の強行により、大型開発の失敗、税金の無駄遣い、企業不祥事が続いている。戦後日本は平和主義によって再生したが、逆に戦争さえしないことが戦前の決別になると安易に考え、上層部の無能、無謀、無責任な体質への反省が不十分であったのではないか。だから逆に本書のような歴史認識の方が無能、無謀、無責任体質の問題提起になるのではないか。

本書は満州国や大東亜戦争には頭ごなしに否定されるだけではない理想があったとするが、実体には様々な問題があったことも直視する。その中でも最大の問題は満州国の経営が依存性薬物の阿片(アヘン)で成り立っていたことである。そこには何の倫理性もない。阿片は近代中国を蝕んだ害毒である。阿片戦争は近代中国の屈辱と苦難の歴史の出発点である。

一方でシャーロック・ホームズに描かれているように阿片は当時のイギリスでも普及していた。本書では何故、中国で阿片が深刻な問題になったかを説明している。そこには阿片の摂取方法の差異がある。欧米では経口服用中心であったが、中国は喫煙中心であった。喫煙は「経口服用に比べ即効性が強く、より依存性を生じやすかった」という(64頁)。

一見すると口の中に入れることと煙を吸うことでは前者の方が危険そうであるが、実は煙の方が脳に直接ダメージを与える。これは現代日本で危険ドラッグが深刻な社会問題になっていることと重なる。戦前の反省をする場合、戦争否定以外にも様々な分野で学ぶことがある。

書評『親子経営 ダメでしょモメてちゃ』

大石吉成『親子経営 ダメでしょモメてちゃ 親子だから経営力が高まる本当のこと』(セルバ出版、2016年)は親子経営の失敗原因と対策を述べた経営書である。大塚家具などの「お家騒動」が話題になっており、タイムリーな書籍である。

本書はタイトルに「ダメでしょ」とあるように「これをしたらダメ」のネガティブリスト方式で書かれている。ハウツー本の多くは「これをしよう」というポジティブリスト方式で書かれている。日本人にはネガティブリストよりもポジティブリストの方が前向きで建設的と考える傾向がある。しかし、ネガティブリストは、「それをするな」という禁止事項を書いたものであり、それ以外の行動は自由に任されている。ネガティブリストの方が相手の自由を尊重した姿勢である。

本書は親にも子にも厳しい助言をしている。親子対立にならないために親子の関係性を変えることが大切と指摘する。そのためには親が変わることが近道である(96頁)。親の方が相対的に優位な立場にあるため、この指摘は正しい。

現実問題として親が変わることは難しい。そこで「長年経営をしてこられた頑固な父親より、素直な子供さんから変わってもらうことで、親子の関係性に変化を与えることをより期待しています」と述べる(97頁)。これも親と子のどちらが変わる能力があるかという実現性の観点からは間違っていない。

間違っていないが、それ故に絶望的な気分になる。親の方は子の論理を理解しようとせず、それを周囲からも頑固さや年を理由に容認されがちである。ところが、子には親の論理を理解することが期待される。これは片務的であり、フェアではない。これを当たり前と考えるならば甘えである。

この問題は同族経営に限らない。組織の世代交代、世代継承でも同じである。むしろ、親子ならば甘えも成り立つが、単なる世代対立に置き換えたら、若い世代にばかり期待することは、それ自体が世代対立を激化させる原因となる。

本書は親と子の関係という古くからの普遍的な問題を扱っている。本書は論語をよく引用するが、それも普遍的な問題意識に合っている。一方で現代は変革期にある。昭和が平成になり、20世紀が21世紀になった。金融革命、IT革命、第4次産業革命など産業構造の転換期になっている。

大量生産、大量消費、右肩上がりの昭和の高度経済成長の時代は終わった。昭和の成功体験を抱えた世代と新時代を志向する世代の世代間ギャップは他の時代以上に大きい。世代対立として見れば今日、親子の経営紛争が深刻化することは当然と言える。経営環境の変化を踏まえれば親世代の方こそ変わる必要がある。

子の世代からすれば昭和の経営を続けていれば会社が潰れると思っているために必死である。安易に昭和の経営方針と妥協する訳にいかない。大塚家具の娘社長のように強引に見える改革に走ることも理解できる。親子でもめないためには、本書の説くように子が変わるべきかもしれないが、それは経営の変革から遠ざかることになりかねないという難しさを感じた。

本書は経済変革期への対処という点では物足りないが、それは本書の欠陥ではない。著者は経営コンサルタントであるが、自己が経験した経営者と後継者向けに特化している。サラリーマンの経験がないとして社員研修の依頼を断るほど徹底している(109頁)。自分が語れる分野を語るという姿勢は好感が持てる。

本書は企業不祥事における企業経営陣の無責任さも批判している。違法スレスレ、法の抜け穴を指南するブラックなコンサルタントが横行するなかで、著者は経営コンサルタントとして真っ当である。本書はよく論語を引用しているが、それは形だけのものではないことが分かる。

書評『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

佐野眞一『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(小学館)は60年安保闘争の頃の全学連委員長の唐牛健太郎を主題としたノンフィクションである。著者はノンフィクションライターである。個人の伝記にとどまらず、時代や社会を描いている。

唐牛健太郎は安保闘争の頃の全学連委員長であるが、「唐牛からマルクスの話を聞いたことがありません」と述懐される(96頁)。唐牛が全学連委員長に推薦された理由も「学生運動ずれしていない、変な政治主義に染まっていない新鮮さ」とする(100頁)。ステレオタイプな左翼教条主義と異なり、興味深い。

本書では唐牛健太郎の生い立ちや両親のことを、当時を知る人を訪ねて明らかにしている。庶子というセンシティブな問題も掘り下げている。この点は好き嫌いが別れるところである。

著者は週刊朝日で連載した橋本徹の人物論が批判され、休筆せざるを得なくなった。本書は復帰第一作になる。本書の冒頭ではハシシタ問題を引き起こした原因を取材現場から足が遠ざかるようになっていたこととする(5頁)。この点で本書は復帰作に相応しい綿密な取材の作品と言えるだろう。

しかし、ある人物の行動や思想を掘り下げる際に彼の生い立ちを明らかにすることにどこまで意味があるかという問題がある。日本のマスメディアには人間ドラマを作り、事件の社会的構造的問題点から目をそらさせる悪癖がある。その話は本題と関係あるかと言いたくなる報道が少なくない。現場を取材して確認した事実だから良いというものでもない。取材そのものが迷惑行為ということもある。

著者は、ありのままの唐牛の姿を知ってもらい、神格化や英雄扱いから解き放つことを意図している(135頁)。その評価は人それぞれであるが、私としては生い立ちのような人生物語よりも右翼と左翼の交流のような昭和史の裏面の記述の方が面白かった。

本書は安保闘争の意義を認めながらも、その後の左翼の偏狭さに批判的なトーンで書かれている。現代の安保法制反対運動についてもSIELDsの登場を評価しつつも、彼らが既成左翼政党に利用されることを懸念する(28頁)。本書には左翼教条主義への強い批判精神がある。

もう一つの特徴は戦前と戦後の連続性を見据えていることである。軍事的な拡張主義が経済成長に置き換わっただけという面がある。「敗戦によって失った満州を国内に取り戻すゲームが高度経済成長だったのではないか」(9頁)。だから個人が全体の発展のために抑圧される状況は変わらない。

本書は安保闘争には旧敵国アメリカの傘下に入るこてはとんでもないというナショナリズムがあったと指摘する。右翼と左翼が交流する一方で、ブントと日本共産党がいがみ合う。私は、この時代に生まれておらず、書かれたものから評価するしかない。現代において相対的に優勢な団体は共産党であるため、必然的に共産党側の文書を目にする機会が多くなる。そのために共産党寄りの視点を抱きがちであった。

しかし、本書を読むと、全学連やブントの側にも義や論理があることが分かる。その主張を完全に奉じて共産党を全否定するつもりはないが、両者が相容れないことは理解できる。それぞれの歴史を背負っている左翼左派がまとまることは難しいのではないかと感じた。


遅刻ちこくったー

私FJネクスト不買運動! 7歳の女子高生!
トマトをくわえて走っていたらレスラーとぶつかったの!
レスラー「なんて美しいんだ!」
FJネクスト不買運動「しゃ、喋った!!?」
朝からサイアク!

私FJネクスト反対運動! 31歳の女子高生!
白米をくわえて走っていたら石油王とぶつかったの!
石油王「どこ見て歩いてるんだ!」
FJネクスト反対運動「ちょっと勘弁してよ」
朝からサイアク!

私東急不買! 9歳の女子高生!
海老天をくわえて走っていたら魚介類とぶつかったの!
魚介類「僕を気にせず逃げて!」
東急不買「通報しとこ」
朝からサイアク!

私東急不買運動! 7歳の女子高生!
アサリをくわえて走っていたら食パンとぶつかったの!
食パン「またお前か!」
東急不買運動「うるせえ黙ってろ!」
朝からサイアク!

私東急リバブル不買運動! 8歳の女子高生!
制服をくわえて走っていたら魚介類とぶつかったの!
魚介類「古傷が痛むっ…!」
東急リバブル不買運動「え? なんだって?」
朝からサイアク!

私東急不動産不買運動! 10歳の女子高生!
生ハムをくわえて走っていたらトラックとぶつかったの!
トラック「髪が崩れたじゃないか!」
東急不動産不買運動「これが私の力…?」
朝からサイアク!

私東急不動産だまし売り裁判! 25歳の女子高生!
レタスをくわえて走っていたら女の子とぶつかったの!
女の子「ここはどこだ…?」
東急不動産だまし売り裁判「しゃ、喋った!!?」
朝からサイアク!

林田力

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